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減量・ダイエットなどのボディメイクを行う上でのトレーニングや食事の知識・方法をご紹介すると共に、趣味のNBAについて主観的に語り、バスケのパフォーマンス向上に役立つ情報も提供する!!

選手名鑑:コービー・ブライアント

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<プロフィール>

本名:コービー・ブライアント(Kobe Been Bryant)
 
ポジション:SG
身長 体重:1.98m 93kg
 
1978年8月23日生まれ。(41歳)
ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。
愛称:コービー、ブラックマンバ。
 
 
NBA、バスケットボールを知っているのであれば、コービーを知らない人なんていないだろう。
むしろ、バスケットボールを知っている人に限らず、コービーは世界的に知名度の高い超一流アスリートだ。
もし知らないのであれば、ここで恥のないように知っておいて欲しい。
 
最高年棒額は、37億円。
年棒額だけでこれだけ貰える実力のある選手だ。
一体どんな生活をしているのか、興味深いところだ。
 
1996年、ドラフトでロサンゼルス・レイカーズに入団。2016年、現役引退。
20年間トッププレーヤーとしてNBAを牽引してきた。
 
受賞歴を見れば、コービーがどれだけ凄いプレーヤーだったのかが分かるだろう。
 
☆受賞歴
・NBAチャンピオン 5回
・NBAシーズンMVP 1回
・NBAファイナルMVP 2回
・NBA得点王 2回
・オールNBA1stチーム 11回
・オールNBA2stチーム 2回
・オールNBA3stチーム 2回
・オールディフェンシブ1stチーム 9回
・オールディフェンシブ2stチーム 3回
・NBAオールスター出場 18回
・NBAオールスターMVP 4回
 
その他、様々な記録も保持している。
 
・NBAシーズン通算得点 33,643pt(歴代3位)
・NBAプレイオフ通算得点 5,640pt(歴代3位)
・NBAオールスター通算得点 290pt(歴代2位)
 

 

シーズン通算得点では、4位のバスケットの神と呼ばれているマイケル・ジョーダンよりも上位にいる。
上記の受賞歴や記録以外にもまだまだたくさんの記録をNBAに刻んでいるが、キリがないのでここまでにしておく。
 
コービーは試合終盤、接戦でのクラッチタイムには持ち前の強靭な精神力でラストショットを打ちにいく。
ここでのコービーの集中力は、マイケル・ジョーダンを彷彿させるかのようなものになり、クラッチショットの成功率は高く、コービーならと誰もが期待してしまう程だ。
その期待にコービーは答え続け、数々のドラマを生み出した。
 
コービーは、クラッチタイムに滅法強いことから、試合終盤のその時間帯をコービータイムと呼ばれることもあった。
 
 
そんなコービーだが、入団から引退までは良いことばかりではなかった。
むしろ、コービーは常に悪役だった。本人も喜んで悪役であることを歓迎した。
誰が何と言おうと自分を曲げることはなかった。
どんなにブーイングをされても、時にはファンからブーイングを浴びても、コービーはそのノイズを力に変え、プレーで黙らせてきた。
 
いつしかコービーは、ファンから愛され、バスケットボール界全体から愛されるようになっていた。
 
コービーが引退表明をしたラストシーズンは、どこのアリーナへ行っても彼のホームだった。
観客席からスタンディングオーベーションで迎えられ、祝福されるコービーは、それに応えるように笑顔で手を上げた。
 
それは、NBAの一つの時代が終わりを告げるカウントダウンだった。
 

 

 


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<シャック&コービーの誕生>

1996年ドラフトでLALへ入団したコービー。
この時期は、LALへ移籍してきたビッグプレーヤーがコービーの他にもいた。
今やNBAのレジェンドのシャキール・オニール(愛称、シャック)だ。
 
コービーは当時、高卒のルーキーでバスケに対しての向上心が半端じゃなかった。
マイケル・ジョーダンのような華やかなキャリアになるように努力を惜しまなかった。
ジムで汗を流し、シュート練習も怠らない。
実力さえあれば、ジョーダンのように何度も優勝することができ、人々に認めてもらえるとさえ思っていたのではないか。
 
LALのチームメイトともあまり仲良くすることもなく、黙々とバスケだけに集中していた。
いつしかコービーはLAL内で孤立していたが、そんなことも関係なく、彼はNBAで勝つために自身の実力をひたすら磨いた。
 
シャックやチームメイトからは、協調性のない生意気な高卒ルーキーだとも思われていただろう。
実際、チームメイトは全員シャック側に付いてまわっていた。
年齢やキャリアを考慮しても、年功序列なNBAなのだから当然だろう。
 
しかし、コービーはコービーで優勝への意欲、競争心、向上心に劣っているチームメイトの姿勢に苛立っていた。
 
これは、考え方の違いから生まれたシャックとコービーの長年に渡っての不仲説に繋がるきっかけだったのかもしれない。
 
コービーは、実力さえあれば協調性など必要ないという考え。
シャックは、チーム=ファミリーという考え。
 
今後8年間、シャックとコービーは同じLALでプレーをするのだが、試合を重ねて共に闘う時間が増えれば増える程、シャックとコービーの不仲説が加速する。
 
ところが2人には、たった1つ大きな共通点があった。
それは、シャック&コービーの黄金時代を築き上げる為に最も重要な『闘争心』だ。
この闘争心が2人の不仲説の原因になったのかもしれないが、この並々ならぬ闘争心がなければ、3連覇はなかったのではないだろうか。
 
ルーキーシーズンのコービーは、後に英雄になる為のきっかけを得る。
それは、プレイオフでのUTA戦の第5戦。
試合終盤残り11秒で同点の場面。LALボールで主要メンバーが退場していない中、コービーは、ルーキーながらラストショットを託された。
 
ジョーダンに憧れていたコービーにとっては夢のようなシチュエーションだ。
 
コービーは、バックコートからボールを運び、そのままトップでアイソレーション。
そこから一気に加速し、ドライブからプルアップジャンパー。
しかし、ボールはリングの手前で失速し、エアボールになる。
 
オーバータイムでもフリーで3Pシュートを放つがエアボール。
レッグスルーからの3Pもエアボール。
3点ビハインドでの残り時間僅かな場面でも3Pを放つがエアボール。
 
大事な時間でコービーは、4本のエアボールを記録してしまう。
 
後にコービーは、当時は凄く惨めだったと語ったが、闘争心剥き出しで誰よりも負けず嫌いだったコービーは、この経験から飛躍的に成長することができたのではないだろうか。
 

youtu.be

 

 


 

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<シャック&コービーの黄金時代>

2年目のコービーは、ルーキーシーズンから着実に成績を上げる。
ベンチからの出場で平均出場時間26分で1試合15.4得点を記録。
 
1998-1999は、ロックアウトでシーズン短縮。全50試合となったが、コービーはこのシーズンから全試合先発出場で平均19.9得点を記録した。
 
1999-2000、ついにシャック&コービーの黄金時代が幕を開ける。
 
LALは、レギュラーシーズンを65勝17敗でプレイオフへ進出すると、ファイナルまで勝ち進む。決勝の相手は、IND。
 
初戦からLALは2連勝をするが、第3戦を落としてしまう。
続く第4戦、後半にシャックが退場。
1,2点差を争う大事な時間にエースのシャックがいなくなり、LALが不利な立場に置かれる。
シャックも当時を振り返り、負けたら自分のせいだと思ったという。
 
しかし、そこでシャックやLALを安心させた男こそ、コービー・ブライアントだった。
 
ボールを保持し、放さないコービーは、闘争心剥き出しだった。
そして、ロングシュートを2度成功させ、3本立て続けに得点を重ねた。
 
 
シリーズは、4-1でLALが制し、シャック&コービーでの初優勝を達成する。
 
翌シーズンも2位でプレイオフへ進むと、負けなしでファイナルに進出する。
イーストの王者は、アレン・アイバーソン率いるPHIだ。
アイバーソンに1試合48得点を取られ、1敗するが、シリーズ4-1で2連覇を達成する。
 
このファイナルでの得点は、シャックとコービーが良くボールをシェアし合った印象がある。
 
[1試合平均]
コービー → 24.6得点、7.8リバウンド、5.8アシスト、1.4スティール
シャック → 33.0得点、15.8リバウンド、4.8アシスト、3.4ブロック
 
シャック&コービーは、この勢いのまま2002年もNBAチャンピオンになり、3連覇(3ピート)を実現させた。
 
シャック&コービーは、同じくらい強い闘争心を持っているだけに衝突することも多くあったという。
殴り合いの喧嘩なんて当たり前に起こりえた。
コービーよりもはるかに大きいシャックにコービーは怖じ気づくことがなく、真正面からぶつかっていく。
シャックも言いたいことは、直接コービーにぶちまけた。
これは、勝つことに必要だったことなのだろう。
しかし、それが一部では確執と捉えられ、噂だけが一人歩きしていくことになる。
 
その結果、シャックはMIAへ移籍。
名匠フィル・ジャクソンHCもLALを出て行ってしまう。
 
コービーの傲慢さがこの事態を引き起こしたと思われ、チームメイト批判もあったことからコービーに対してファンからブーイングが起こることもあった。
 

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<人気と実力の隔たり>

シャックやフィルが抜けたLALでコービーは、ただバスケに集中し、ブーイングも自身の闘争心を燃やす為の材料に変えていった。
 
フィル・ジャクソンHCはその後またLALに戻ってくるが、チームの戦力は、とてもかつてのLALのような強さを生み出せるものではなかった。
 
コービーも孤軍奮闘でもはや一人でボールを持つシーンばかりが目立つようになる。
チームメイトを信頼していないかのようにもみえた。
 
ただ、それでも個人成績は、2005-2006、PPG35.4をマークし、ジョーダン以来となる高得点記録を作り出す。
 
TRO戦では1試合で81得点を記録する。
これは、1試合の歴代高得点記録で2番目の数字だ。もちろん、今世紀では歴代1位の記録である。
今後、この得点記録が抜かれることはまずあり得ないだろう。
 
 
コービーの傲慢さは、アンチコービーを生み出し、時にはファンからも叩かれた。
それでもコービーはこのような成績を記録して、コート上でバスケをプレーして人々を黙らせてきた。
 
次第にコービーの得点力は、ジョーダンと比べられる程、評価されるようになった。
 
2006-2007、このシーズンもあまり目立った選手のいないLALは、コービーのワンマンチーム。
コービーは、チームに常に補強を訴えていたが、なかなかチームは動かない。
 
プレイオフは、7位で辛うじて出場したもののPHXに1回戦で破れた。
コービーは、この現状に嘆いていた。
 
シーズンが終わり、ファンからの期待も遠退くばかり。
これがコービーの暗黒時代とも呼べるような時期である。
 
 
 

  

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<チームリーダーコービー&相棒ガソル>

シャキール・オニール以来、レイカーズは、インサイドにインパクトのある実力プレーヤーを探り出すことが出来ずにいた。
コービーは、チームで孤軍奮闘していたが、優勝には程遠かった。
 
そんな中、コービーとLALについに転機が訪れる。
2007-2008シーズン途中にビッグニュースが舞い込んできたのだ。
チームに常に補強を要求していたコービーに、ようやく、待ちに待った実力ある相棒が出来る。
 
それが『パウ・ガソル』。
 
パウ・ガソルが当時のMEMからLALに移籍してきたのだ。
また、コービーと同期で黄金時代のレイカーズを経験したデレック・フィッシャーもLALに帰ってきていた。
 
ガソルは、2001年ドラフトでMEMへ入団し、エースとして活躍し続けた選手。
平均得点も20得点前後、リバウンドも1試合に10本は取れる実力があり、ポストからのアシストも出来る器用な選手だ。
ミドルシュートの確率も高く、ビッグマンだがフリースローも得意とする。
 
ゴリゴリのインサイドというタイプでもない為、当時LALでセンターを務めていたアンドリュー・バイナムともスペースをシェアすることが出来る。
 
バイナムの成長も加速し、コービー&ガソルの常勝LALがここから始まる。
 
2007-2008、シーズン成績は、57勝25敗でプレイオフに進出。
プレイオフ1回戦からナゲッツ、ジャズ、スパーズと3シリーズで落とした試合は僅か3試合のみ。圧倒的な強さでNBAファイナルにコマを進める。
 
決勝の相手は、LALの因縁のチーム、ボストン・セルティックスだ。
西のL.A、東のボストンと言われる程のNBAでも伝統的な対戦。
 
このシーズン前にBOSは、ポール・ピアースに加え、レイ・アレンとケビン・ガーネットを獲得し、BIG3を結成していた。
 
結果的にシリーズは、2勝4敗でLALがBOSに破れた。
ただ、再び優勝を狙えるチームになったことは明白だった。
 
 
2008-2009、開幕からコービー&ガソルで挑む初のシーズンを迎える。
 
インサイドには成長著しいバイナム、6thマンには1〜4番までのポジションを熟るオールラウンドプレーヤーのラマー・オドムも控えている。
フィッシャーの控えにはジョーダン・ファーマー、コービーの控えに攻撃的なガードのシャノン・ブラウン、アウトサイドシューターのサーシャ・ブヤチッチ、トライアングルオフェンスを理解するルーク・ウォルトン。
コービーの負担は軽減され、平均出場時間も2年目の1997-1998以来、最も短いMPG36.1に抑えられた。
 
レギュラーシーズン成績は、65勝17敗という圧倒的な強さでカンファレンス首位になる。
 
プレイオフに入っても勢いは止まらず、2009年、再びNBAファイナルへコマを進めた。
イースタンは、ドワイト・ハワードを軸にしたORLがイーストの強豪を退けて勝ち進んできた。
 
第1戦は、厳しいマークを受けながらもコービーが奮起。40得点を叩き込み、LALが100-75で快勝。
 
第2戦は、試合終盤残りわずかのところで88-88の同点。
ORLボールでプレー再開。インバウンドからアリウープパスを出す。
ボールをキャッチしたコートニー・リーがそのままボードを使ってシュートを放った。が、ボールはリングに当たって外れ、試合はオーバータイムに突入し、コービー&ガソルが試合を決定付ける。
 
2連勝でオーランドへ乗り込む。
オーランドでの初戦を落とすが、続く第4戦は、フィッシャーの要所での活躍もあり、勝利する。
第5戦もロードでの試合となったが、コービーを筆頭にチームがまとまっていた。
 
そしてついに、念願のNBA優勝を果たす。
ファイナルMVPは、もちろんコービー・ブライアントだ。
PPG32.4、RPG5.6、APG7.4を記録。
 
ファイナルでの厳しいマークの中、平均してこれだけ得点が取れるコービーは、もはやNBA歴代トップクラスの得点力を持つプレーヤーだ。
 
 
マイケル・ジョーダンも「歴代のレジェンドと1on1をしても負ける気がしない。ただ、コービーだけは違う。彼は、自分のプレーを全てコピーしてしまったからね。」と語っている。
 
マイケル・ジョーダンの言う通り、1on1でコービーに敵うプレーヤーは、マイケル・ジョーダン以外にいないだろう。
いつかの練習中、コービーとレブロンが1on1をしていた。
キングと呼ばれたレブロン・ジェームズでさえ、そのコービーとの1on1では手も足も出なかった。
 
そしてこの数字でもう一つ注目したいのがアシストの数。
ボールを欲しがり、パスをしない自己中心的な選手とも呼ばれていたあのコービーが、なんと1試合平均7.4アシストも記録しているのだ。
 
チームメイトを信頼し、自分を信じて最後までプレーし続けたコービーは、また格段とパワーアップしたことだろう。
 
コービーがパスをすることは、結果的に彼を守ることをこれまで以上に難しくする。
ダブルチームをすれば、フリーのチームメイトにパスを出され、確率の高いシュートをさせてしまうからだ。
 
コービーがパスを出す行為を見ていると、チームメイトとのケミストリーの良さも感じさせられる。
コービーは、LALの素晴らしいチームリーダーになっていたのだろう。
 
 
 

 

<因縁のBOSとの再戦>

2009-2010、シーズンオフには改名したメッタ・ワールド・ピース(元ロン・アーテスト)を獲得。トレバー・アリーザの穴を埋める。
 
コービーとは過去に小競り合いもあり、ケミストリーを不安視されたが、そんなことは全く感じさせず、メッタ・ワールド・ピースは、期待通りディフェンス、3Pシュート、時にはインサイドでの力強いプレーでチームに貢献する。
 
レギュラーシーズン成績は、57勝25敗で首位通過した。
そして、3年連続のファイナル進出を果たした。
そこで待っていたイースタンの王者は、ORLでもなく、レブロン率いるCLEでもなかった。2年前にファイナルで破れた因縁の相手、BOSだった。
 
このシリーズ、コービーに対するディフェンスはさらに激しく、ディフェンスに定評のあるトニー・アレンの執拗なマークに苦しんだ。
 
コービー自身も過去を振り返り、ディフェンダーで最も苦しめられたプレーヤーは誰というインタビューに「トニー・アレン。」と答えている。
 
LALは、第1戦と第3戦に勝利したが、続く第4戦と第5戦を落としてしまう。シリーズは、2-3でBOSが王手をかける。
 
だが、逆境に強く、誰よりも負けず嫌いで勝利に貪欲なコービーは、決して諦めなかった。
 
BOSのアクシデントもあり、LALが有利な状況になったことも事実だ。
BOSのセンター、ケンドリック・パーキンスが怪我で離脱したのだ。
インサイドのディフェンスが手薄になったところでLALは、徐々に追い上げていく。
 
ホームコートアドバンテージもあり、ホームのファンの後押しを借りて第6戦を勝利すると、伝統のLAL対BOSは、最終決戦の第7戦までもつれ込む。
 
第7戦も試合終盤まで接戦になり、残り1分のところでLALが76-73でリード。
 
ここでもコービーは、トップから3Pラインに立っていたフリーのメッタ・ワールド・ピースにパスを選択する。
チームメイトを信頼したコービーの期待に見事に答えたメッタは、3Pを沈めた。
 
試合を振り返り、メッタ・ワールド・ピースは、「コービーから初めてパスがきた。決めないといけないと思った。」というようなことを答えていた気がする。
 
しかし、粘るBOSはすぐに3Pを返し、79-76の3点差に戻す。
 
この試合のコービーのシュート確率はあまり良くなかったが、残り25秒で大事なフリースローを貰う。
試合終盤の集中力がずば抜けて高いコービーは、フリースローをしっかり決めた。
 
結果、第7戦を制したLALがファイナルを4勝3敗で勝利し、2連覇を達成した。
 
コービーは、このシリーズでPPG28.6、RPG8.0、APG3.9アシスト、SPG2.1を記録。
激しいディフェンスのやり合いでLALの1試合平均得点が90得点の中、コービーは28.6得点も平均で取っていたのだ。
 
コービーは、これでキャリア5度目の優勝を果たした。
 
 
2010-2011、コービーは、4度目のオールスターMVPを獲得して歴代タイ記録に並んだ。
 
同シーズンのLALは、57勝25敗としてSASに続いて2位。
プレイオフ1回戦では、NOH(ニューオーリンズ・ホーネッツ。現ニューオーリンズ・ペリカンズ)と対戦。
 
コービーは、1試合平均34分の出場で22.5得点を記録。
プレイタイムを少し抑えながらも4-2でシリーズを制した。
 
2回戦は、3位通過のDALと対戦。
ダーク・ノビツキー、ジェイソン・テリー、ジェイソン・キッド、タイソン・チャンドラーと豪華なラインナップ。
 
LALは、接戦の末、初戦をホームで落としてしまうと、そのまま完敗。DALにスイープをされてシーズン終了となった。
3P成功率も1割台に抑えられ、シリーズ敗退がほぼ確定した試合終盤は、DALの選手に対して不必要なファウルをするシーンもあった。
 
ここからコービーとLALは、リーグから徐々に姿を消していった。
 

<全キャリアをLALに捧げたブラックマンバ>

コービーは、怪我が続き、欠場も増えてほとんどレギュラーシーズンを出場する機会がなかった。
これまで満身創痍でNBAを引っ張っていたコービーの体は、もうすでにボロボロになっていた。
 
2014-2015、そんなコービーはついに偉業を達成する。
NBA通算得点でマイケル・ジョーダンを抜き、歴代3位になったのだ。
 
コービーは、マイケル・ジョーダンに憧れて昔からジョーダンの真似をしていたそうだ。
小さい頃からずっと追いかけていたジョーダンの得点記録についに追い付いたのだ。
 
ジョーダンは、神の存在で比べることは出来ないが、コービーは常にジョーダンと比べられていた。
それは、コービー自身がジョーダンを追いかけ、ジョーダンから技を盗み、ジョーダンから学んできたので、人々はそんなコービーをみて、どこかジョーダンに似ていて、比べたくなってしまうプレーヤーだったのではないだろうか。
 
2015-2016、ついにコービーが引退を表明する。
今でも思い返すと泣けてしまう。
 
オールスター投票は、NBA全体で1位。
最後のオールスターに出場したコービーだったが、それはNBAの世代交代を告げるものとなった。
 
丁度このシーズンのオールスターにはガソルも出場していた。
コービーと試合中に1on1をするなど、仲良く楽しんでいる様子だった。
コートサイドではコービーとガソルが横並びで座っていて、コービーがガソルの肩にもたれるシーンも見られた。
コービー&ガソルのLALを思い出した瞬間で懐かしく切ないシーンだった。
 

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コービーは、LALへ入団してから引退するまでの20年間、LALで過ごした。
1チームでキャリアを終えたプレーヤーは、同シーズンで引退をしたSASのティム・ダンカン、現役ではDALのダーク・ノビツキーしかいない。
 
コービーは、ホームで行われるUTA戦が現役最終戦となった。
試合終盤は、UTAにリードを許していたにも関わらず、ここからコービーコービーコービーと連続で得点を伸ばす。
そして、ついに逆転に成功し、劇的な勝利でコービー・ブライアントは、キャリアを終えた。
 
20年前のUTA戦では、エアボールを連発して屈辱的な敗戦を強いられたが、この引退試合では60得点を叩き出した。
コービーの現役生活は、UTA戦のエアボールから始まり、それを払拭するかのようにUTA戦で終わった。
 
レブロン・ジェームズも同じことを言っていたが、この先のNBAにコービー・ブライアントのようなプレーヤーは二度と現れないだろう。二度と。
 
"Mamba out"

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NBA界で最も好き嫌いの分かれた選手のコービー・ブライアント。
だが、彼は、バスケットボールが上手くなる為にはどんな代償も構わず払ってきた。
時にはチームメイトと争って、時にはファンからバッシングを浴びて、時には世間から叩かれて...
誰に何と言われようと、何があっても自分を曲げない傲慢で度胸のある選手。
決して他人の意見に左右されず、とにかく常に強い自信を持って、キャリア20年間をLAL一筋で終えた『ブラック・マンバ』
 
彼の心の強さは、マイケル・ジョーダンの抜けたNBAの人気を繋ぎ止め、今のNBAを作り上げた。
 
いつしか、彼を嫌うファンはいなくなり、引退のシーズンでは、彼が敵地のアリーナに乗り込むと、必ず、スタンディングオーベーションで迎えられた。
 
NBA界の英雄、コービー・ブライアントのキャリア全てを記した彼の生き様を目撃しないではいられない。

 

 
 
 
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