デビッド・スターンの変革-NBAの危機を救った男-
スターン就任時のNBAの総収入は、6800万ドルだったが、1996年には30億90万ドルに伸びている。
このデータから分かるように、NBAを語る上で非常に重要な役割を果たしてきたスターンだが、最も大きな影響を与えたものが、テレビ放送の改善だったのではないだろうか。
今回は、デビッド・スターンとは何者なのか、どのようにしてNBAの危機を救ったのか、そして、どう発展させたのかをお話したい。
<デビッド・スターンの生い立ち>
本名:デビッド・ジョエル・スターン(David Joel Stern)
1942年9月22日生まれ。(74歳)
ニューヨーク市出身。
スターンは、食料品店を営む家庭に生まれ、少年時代からお店の手伝いをし、経営者としての知識などを深めていった。
少年時代のスターンは、バスケットボールもプレーしており、NBAの地元チームのニューヨーク・ニックスファンでもあった。
青年時代は、公務員を目指し、ニュージャージー州にある州立大学のラガース大学に入学した。
<NBAとの関わりとコミッショナーに就任するまで>
10年間、NBAの外部顧問を担当し、1978年、当時NBA第3代コミッショナーであるラリー・オブライエンがスターンにNBAの法務部門の立ち上げに携わるように要請すると、そのままNBAの顧問に加わることになった。
スターンの優秀な働きが評価され、1980年、ついにコミッショナーに次ぐ地位となる取締役副社長に就任する。
それからすぐにスターン指導の元、1983年、サラリーキャップ(各チームに選手の合計年俸限度額を定める規定)の導入を検討する。
目的は、小規模都市を拠点としている財政的に不利なチームの負担を軽減させる為だった。
大都市と小都市では、財政的に小さな都市の方が不利で、高額な優秀選手の獲得に踏み込めずにいた。
そのような不平等さがリーグの人気低迷を引き起こす一つの原因と捉え、サラリーキャップ制度の導入は、リーグに不可欠であるとスターンは考えた。
<薬物使用の排除>
今でも語り継がれるこの2選手のスター性は、多くのファンを虜にしたが、リーグに長く続く、選手の薬物問題が収まることはなかった。
当時はまだ薬物に対する抵抗は今より低く、一部の報道では60%がマリファナを吸引していると報じられることもあった。
薬物問題だけではなく、リーグ自体財政難で23チーム中17チームが赤字の状態だった。
スターンは、そのような状況でも決して諦めなかった。
まず、薬物問題を解決する為に、薬物を使用している選手全員に治療を受けさせようと試みた。
人気低迷の大きな原因がこの薬物問題だった為、スターンのこの事業に対する想いは強かった。
この治療を拒否する選手には、例え実力があるスター選手だとしても、誰であれリーグから追放する姿勢をみせた。
このような徹底した事業方針から絶大な効果に繋がり、リーグが少しずつクリーン化されていった。
デビッド・スターンを象徴する素晴らしい改革は、薬物問題の排除以外にもう一つある。
それは、スターンが最も重要視した事業であり、見習うべきところでもあるかもしれない。
また次回、お話しよう。
NBA選手のような筋肉を目指す人の為の、
一人でダイエットを行う人の為の、
男としてかっこよく、女として美しくある体作りの為の、
食事と運動(トレーニング)の知識として活用して頂ければ...!!
・睡眠が体脂肪の増減に大きく関わるワケ←check!
・筋トレやダイエットでプロテインを飲むのはなぜ?←check!