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デビッド・スターンの変革-NBAを飛躍させた改革-

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<テレビ放送の改善>

NBAは、選手の薬物問題によりダーティリーグというイメージを付けられていたが、デビッド・スターンの働きによりリーグのクリーン化に成功し、ダーティリーグのイメージも払拭されていった。
 
スターンが次に行った改革こそ、スターンを象徴するような、リーグにとっても最も重要な事業になっただろう。
それが、テレビ放送の改善だ。
 
NBAは、1982年から1990年までアメリカ3代ネットワーク会社である、CBS(Columbia Broadcasting System)という放送会社と契約を結んでいる。
だが、1983年までのNBAのテレビ放送は、1シーズン82試合あるうちのたった6試合程度しか中継されなかった。
今ではとても考えられないような試合放送数の少なさだった。
 
1984年、そんなNBAのテレビ状況が一時的に変化した。
NBAファイナルでラリー・バードとマジック・ジョンソンが直接対決が実現する初めてのシリーズだった。
このリーグを代表するレジェンド対決は、全米が注目した。
 
それでも当時のバスケットボールの試合中継は、野球やアメフトと違って攻守が目まぐるしく変わってしまう為、テレビ放送には不向きだと言われていた。
実際、NBAのテレビ中継は、それ以前から常に人気がなかった。
NBAの人気が保たれていたのは、会場に足を運んでくれる観客がいたからこそだった。
テレビでの人気はなかったが、直接観るスポーツとしては、目まぐるしい試合展開が大きな興奮を与え、人気を博していた。
 
バスケットボールは、流れのスポーツ。
会場内での一体感は、どのスポーツよりも凄いものがある。
味方選手の良いプレーで会場中が湧き、ミスで会場中が悔やみ、ファウルをされるようであればブーイングが起こる。
選手の心情と会場の反応が一体となって興奮状態にさせてくれる異様な雰囲気が、来場者数を増やしているのだろう。
 
しかし、それでもテレビ中継を面白くしていかない限りは、NBAの経済状況を改善していくことはできない。
そこで、スターンはNBAの試合中継をエンターテインメント性に優れたものにする為に様々な手法を取った。
 
当時のNBAの中継アングルは、ゴール間を行き来しているだけの映像だった。
そこで、横の移動だけじゃなく、縦の動きも加えて3次元の迫力ある映像に改善し、番組をNBAの管理下に置き、映像の向上に力を尽くした。
 
選手にも試合の合間やそれ以外での記者の取材には可能な限り答えるよう協力させた。
 
さらに、NBAエンターテインメント部門を設立し、NBA関連の映像などの商品化を総括し、NBA側からも積極的に外部へ情報発信するよう努力を行った。
 
そのようなスターンの働きは、NBAに大きな影響を与えることになるのだが、それと同じ時期にスターンやリーグにとって朗報が飛び込んでくる。
1984年、バスケットボール界の『神』、マイケル・ジョーダンの入団だ。
因みに、NBAエンターテインメント部門での最初のヒット作は、1984年ドラフトでNBA入りを果たしたジョーダンの圧巻のプレーをまとめたハイライトビデオだった。
 
ジョーダンがCHIに入団すると、その実力はすぐに発揮される。
ジョーダンの圧巻のプレーの数々に人々は魅了され、この年のCHIのホームアリーナであるユナイテッド・センターの平均観客動員数は、約1万2,000人であり、これはその前のシーズンの平均のおよそ2倍近くも多い人数だった。
 
ジョーダン効果でユナイテッド・センターのチケットは激レアとなり、他の都市から観にくる人々も多くいた。
 
ジョーダンのプレーは、全米を巻き込むほどの影響力を与え、リーグの質をも向上させていった。
そして、スターンは、テレビ戦略によってリーグの楽しさを人々に伝え、テレビ放送でのエンターテインメント性を大きく高めていった。
 
こうして1990年、これまでのCBSとの契約を満了し、同じくアメリカ3代ネットワーク会社であり、放送会社としては最も古い歴史を持つNBCと新たな契約を結んだ。
 

 

 
その他にもライセンス商品を販売し、NBAロゴが付く商品から収益を得た。
因みに、2017年7月からは、NBAロゴが変更されている。
 
次に、スターンはスポンサーの獲得に乗り出す。
それもNBA自らが動き、「NBAには雑誌、アリーナ、ケーブルテレビや全国ネットがあるので、我々はこれだけの宣伝機会を提供することができるのですよ」という強みを活かし、多くのスポンサーがスターンの熱意に押されてスポンサーになってくれた。
 
そして、同時にテレビ放送の機会も急激に増え、各テレビ局ではNBAの専門番組が制作されるほどにまで拡張した。
 

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<テレビ放送の拡張>

1990-1991のファイナルは、ジョーダン率いるCHIとマジック・ジョンソン率いるLALという再び全米が注目する対戦カードが出来上がった。
そして、CHIはこのシーズンに優勝を果たし、ジョーダンがついにチャンピオンリングを手にした。
この時期のNBAの人気は、頂点に近かったと言っても過言ではない。
 
スターンは、この時期にNBAの海外進出を本格的に意識し始める。
 
1989年までのオリンピックは、バスケットボールの出場選手がアマチュアに限定されており、アメリカ代表選手はいつも大学生の選手で構成されていたが、1992年のバルセロナオリンピックからは、プロの参加が認められるようになった。
これにより、NBA選手の出場も可能になった。
 
NBAとしては、全世界にNBAというリーグの品質の高さなどを知らしめる絶好のチャンスでもあった。
バルセロナオリンピック知名度の向上に貢献できると考えたスターンは、最強のアメリカバスケットボール軍団を派遣した。
 
こうしてアメリカ代表「ドリームチーム」が生まれた。
 
結果、これ以上ない圧倒的なパフォーマンスで金メダルを獲得したドリームチーム。
世界中をNBAというリーグに関心を抱かせた。
これをきっかけに、NBAのマーケットは世界へと移っていった。
今では世界中からトッププレーヤーが集まり、リーグの質を高めていっている。
 
このテレビ放送の改善、拡大により、現在のNBAの人気が保たれている。
バスケットボールが大好きな人々がNBAを観ないことは考えられないだろう。
 
NBAは、バスケットボールをしている人にとって憧れの舞台だ。
その憧れの舞台がNBAだということを全世界に知らせ、NBAを世界一のリーグという地位に引き上げたスターンは、今後も永遠に語り継がれるだろう。
 
 

NBA History 〜NBAの創成期〜

デビッド・スターンの改革-NBAの危機を救った男-

 

 

 

 

 

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